2018年 06月 27日
「ろう者の権利回復としての日本手話」
「ろう者の権利回復としての日本手話」
~「行こう とにかく行こう」より抜粋
手話について、「健聴者的手話」、「ろう者的手話」、「伝統的手話」、「中間型手話」など、様々な表現が言われてきましたが、ここにきてようやく整理されてきました。
つまり、健聴者が覚える手話と実際にろう者が使っている手話が異なり、いわゆる健聴者的な手話通訳をされた場合に、ろう者は分かりにくいという声が出てきました。
一方、ろう者的手話を表現された場合に手話通訳者がスムーズに理解できないという問題が出てきました。
これは、手話通訳が「ボランティア的行為」と考えられていた時には、あまり表面に出てこなかったが、手話通訳が一つの「言語通訳」と考えられはじめた頃から、徐々にろう者からも手話学習者からも出されてきました。
では、手話講習会の中で、実際にろう者に通じるような手話技術を指導すれば良いでないかと誰しも思うことであるが、下記のようなことから指導されてこなかったと考えられます。
〇1手話に対しての社会的評価が低く、指導するろう集団としても、自信をもって自分たちが日常使っている手話を指導できなかった。(手話よりも日本語が上の言語という意識を、教育の中で植え付けられてきたのが原因と考えられる)
〇2言語としての手話の研究が進んでおらず、体系的に日本手話を指導できる条件が整っていなかった。
〇3第二言語としての手話を覚える健聴者にとって、日本語の文法に合わせて手話を覚える方が覚えやすかった。
上記の他にも様々な要因が考えられるが、平成10年に、手話講習会の指導について見直しをしようとする動きが出て、手話奉仕員・手話通訳者養成カリキュラムが作成され、手話通訳者講座が開始されました。

手話奉仕員養成事業が昭和45年に開始されて、ほぼ半世紀近くになる今日、多くの人たちの労苦が実り、「手話は言語」であるとの認識が共有化されてきました。
この経過の中で、「日本手話」「日本語対応手話」の論争が起きています。
しかし、現在私たちが使っている音声言語の歴史を考えると日本各地に「方言」等もあり、学校教育の場で「国語」公用語として、国策としての取り組みが行われてた歴史があります。
手話も言語として考えると同じような経過をたどるのではないかと素人の私は考えています。
しかし、大切なのは、「手話通訳者は講座の中では育たない」ということです。
常に聞こえない人たちが抱える問題に対して、共感できる通訳活動者を育てるためには、
多くのろう者との交流活動は、必要不可欠なものと考えます。
【追記】
木村晴美氏が「ろう文化宣言」をしたのは、聞こえないろう者の権利と同時
に奪われた「自分たちの自然なことば(手話)の奪回宣言」であったと
考えます。
※ろう文化宣言はセンターの書籍にありますので、一度ご覧ください。
現在、手話言語法の制定運動や「手話は言語である」ことが法律の中でも
明文化され、手話やろう者を取り巻く環境は大きな転換期を迎えています。
手話が禁止された時代に生きてきたろう者にとって、奪われた「権利回復
のための主張をしているのです。
この大きな転換期に手話を学んでいる私たちは、聞こえない人たちを側面
的に支援できる聞こえる人でありたいものです。
今は、まさに「手話は言語である」という社会の共通認識が熟すまで
の過渡期とご理解ください。
文責:奈須