ろう者と共に歩んだ多くの手話通訳者仲間の皆さんへ

      「ろう者と手話の仲間の絆を強く、広く」
ブログを、思いのままに書き始めてお世話になった方のイニシャルを忘れてしまったりした
ことに気づきました。
 また、Hさんへの送別の言葉から外れて、自身の思い出の回顧になってしまいで、誠に申
し訳ございません。


 終戦後の昭和21年に再結成された「大分県聾唖協会」は、当時の会員は20人足らずの少数集
団で、社会的にも評価されていなかったいわゆる「マイノリティ集団」でした。
 ただ、聞こえない仲間との連携意識は他の障害者集団と比べても比較できない団結力がありました。
 この団結力は九州内にとどまることなく、全国的な組織へ加入し、自らの権利要求の運動は続きました。
昭和46年には、ろうあ運動の拠点とも言える「大分県聴力障害者福祉会館」通称ろうあ会館が建設さ
れて、大分のろうあ運動は全国に誇れる活動を展開していきます。

 ろうあ運動の拠点となるろうあ会館は全国的に先駆けて建設されたものであり、大分のろう先輩諸
氏の熱心な運動に学んでほしいと思います。
 この運動に昭和40年代後半から聞こえる個人や集団が加わり、強力な支援の力を発揮するようにな
りました。
 当時、高校生だった私とN氏のお嬢さんは席を共にして手話を学んでいました。
 お亡くなりになったNさんは、大分県内に手話サークルを結成し「大分に手話劇」ありと言われるく
らい熱心に手話指導に取り組んでいた姿が忘れられません。
N氏の奥さんはと昭和56年に私が県障害福祉課勤務、S・Nさは「聴力障害者福祉会館」でに働
いて、常に私のことを気にかけてくださいました。同じ時期に職安で頑張っていたF・Gさん。
自宅に来るろう者と話したいとの気持ちから奥さんより遅れて手話の勉強を始めた挟間町のОさんご夫妻
 医大に入院していた時には毎日のように元気ですかメールを送ってくれた長年のつきあいのО
さんには公私ともお世話になってきました。多くの医大生がご自宅に遊びに行っていましたよね。
 大学を卒業したばかりで理屈ばかり言っている私を穏やかに指導してくれたSさん夫妻。
サークル活動の役員は前後しながら共に活動したО・kさん、サークルの役員を一緒に行い、職安
等で活躍していただいたМ・kさん。
故足立さんの九州大会の議事録の修正を夜中までしていたМ・kさん、ご主人の理解に感謝します。
九州大会では記念品の袋の準備に奔走してくれたk・Nさん、助かりました。いつも機転の利くあ
なたに何度も助けられましたね。教育機関で手話の授業を積極的に増やしてくれたY・Оさん。

 大分を離れ、県外に転出後再び大分に戻って通訳活動をしているT・kさん、ろう者の生活支援
 活動にも奔走していただいています。
 三重町のkさんご夫妻はセンターの正月の門松づくりやセンター入り口の花のプランターづくり
お世話になりました。

 20代の若いころに県内を自由に飛び回っていたあの頃を懐かしく思い出します。
別府の講習会が終われば生徒とサークル会員で出かけていた居酒屋や喫茶店。SさんやAさん、
Gさん別府で開催した県内全体のオールナイト交流会は若い自分に合わせていただき、ありがとうご
ざいました。
竹田のIさんは地域でコツコツと通訳活動を続けご姉妹で協会の諸大会の切符販売に協力して
いただきましたね。臼杵のkさんは地域のろう者の支援を続けてこられましたね、感謝します。

当時は「手話の鬼」と言われるようになりたいとの気概を持っていましたが、多数の人の協力と
犠牲に成り立っていたことを今になって顧みます。
日田の講習会の指導を終えた私が乗車し、湯布院の指導を終えたNさんと一緒になります。
日田、佐伯、臼杵、津久見、別府、杵築、宇佐、中津り手話講習会は、以前は大分から月に一回
講師が指導し、後は地域の講師が指導していました。

 宇佐のМさん宅で飲み明かしたのはいつでしたかね、隣のN市のFさんには、「奈須さんの講
習会は難しい」と言われながらも、oさんたちと中津の街を飲んでましたね。県南の津久見ではkさん
を中心にSさん、Мさんの3トリオが頑張って大分までエネルギーを届けてとくれましたね。
佐伯ではkさんが毎週の講習会に駅まで送迎してくれましたし、Hさんは佐伯のサークルを守って
くれました。
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 このメンバーを見ると「大分県手話研修会」に参加していたメンバーが実に多いですね。
 各地域での活動の中核となって、長い間活動を続けているのは、「手話の仲間の絆」だと感じます。
何かあった時には助け合う関係性が作られていると感じます。この関係性を広げ継続していき、聴覚
障害者協会の運動を支援することができるようなれればいいと思います。
長い間の隔絶された関係が「手話」という言語で結ばれ、強力な力となったことは言うまでもありません。

 この手話通訳者や手話通訳者集団は、昭和40年代後半に「ろう者の運転免許」取得の時に学科、
仮免許試験、本免許試験の時に活躍するようになります。
 また、知事選挙や国会議員の立会演説会が行われていた当時は手話通訳者として活動し、ろう者の
力強い支援者として活動してきました。
 平成8年に開所した聴覚障害者センターの基盤を作ったとも言える職員のTさん、Yさん、
Hさん、Мさん等の 懸命な努力に感謝しています。

 これらの手話通訳者は、大分市内にとどまることなく、大分県内の各地域に手話サークルを
結成してろう者に対して情報保障として積極的な取り組みを進めていきました。
 この通訳者集団の力によって数多くの大会を成功へと導いてきました。
 多くの大会で県内の手話通訳者の協力を得てきました。

 ①全国ろうあ者体育大会 熱きドラマを豊の国大分で!」のテーマのもと全国から1,800名参加
 ②全国障害者スポーツ大会 県内各地で手話・要約筆記者の養成開始
 ③全国高齢ろう者スポーツ大会開催
 ④全国手話通訳問題大分県大会「時代(とき)を見つめ未来につなごう 熱いメッセージを
 姜氏の記念講演講師に1,000人参加 
 ⑤全九州ろうあ者福祉大会、後に全九州手話通訳者研修会=8年に一回開催される大会で、5回
  の大会経験者もいるでしょう。
 ⑥全九州ろうあ女性部研修会
 ⑦全九州聴覚障害者幹部研修会
 ⑧全九州青年研究討論集会

  これらの大会に携わって、協力していただいた手話通訳者個々人にお礼申し上げます。
  聴覚障害者と共に歩む手話通訳者の考え方を持ち、地域で見えない様々な活動に頑張ってい
る皆さんに感謝と声援を送ります。

 そして長い間、県聴覚障害者協会に支援いただいた手話通訳者仲間の1人が
大分を離れて、別の
地に移るHさんに、惜別の気持ちを込めて、「ありがとう!」の感謝の言葉を送ります。


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※イニシャルで関係者を表現して失礼しました。また、お世話になっているにも関わらず
イニシャルを漏らした方もいると思います。漏れていた場合は、失礼をお詫びします。
  後日、「地域における手話通訳者・手話サークルの活動者紹介」等の作成を考えています。

                    (文責 奈須)
                                  


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by toyonokuni | 2018-10-03 05:22 | 協会・センターからの情報 | Comments(0)