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「青い芝の会」と絶望の哲学


「青い芝の会」と絶望の哲学


 主に1970~80年代に、何らかの形で「障害者問題」に関わったことのある者であれば、この名前に特別な感慨を抱くのではないだろうか。
特に彼が率いた団体「日本脳性マヒ者協会青い芝の会神奈川県連合会」(以下「青い芝の会」と表記)の強烈な印象と相まって、市民運動の熱い季節の記憶が彷彿(ほうふつ)としてよみがえることだろう。

 同会は街頭カンパニアや座り込み、また時には実力行使も辞さない強硬な態度によって、社会に多大な衝撃を与えた脳性麻痺者らによる運動団体である。「青い芝の会」は全国各地に支部を持ち、それぞれに主義や主張が異なるため、このように一括りにして説明することに抵抗がないわけではない。しかし60年代には穏健な親睦団体だった同会が、日本の障害者運動の歴史に残る存在として人々の記憶に刻まれるようになったのは、やはり神奈川県連合会の果たした役割が大きい。

そして横田は、この神奈川県連合会の中で今なお指導的な立場にいる人物である。横田の名を知る者は、彼を「我らは愛と正義を否定する」という鮮烈なテーゼの起草者として、また養護学校義務化反対闘争のタフな指導者として、あるいは、いわゆる「川崎バスジャック闘争」や優生保護法反対運動の闘志として記憶しているのではないだろうか。その活躍から、現在では障害者運動「伝説の人」とさえ評されている(朝日新聞「人・脈・記」2007年4月23日夕刊一面)。

そもそも万人が支持する社会運動などあり得ないのだろうが、しかし、「青い芝の会」ほど評価が分かれた事例も珍しい。明快で徹底した自己主張に絶大な共感を寄せた人も多かったが、その“過激さ”を忌避する人はおそらくそれ以上に多かった。しかし彼らの主張には、他のいずれの障害者運動にも見られなかった一つの特徴があったように思われる。つまり「障害者が生きる意味とは何か?」という哲学的な思索と、その思索を突き詰めるストイックさを備えていたのである。

その「青い芝の会」の哲学は、横田の詩の中に最も凝縮された形で込められているように思われる。横田は運動家であると同時に詩人としての側面も持っている。むしろ筆者の個人的な感覚から言えば、詩という文学表現にこそ横田哲学の本質が表われている。彼が起草した同会行動綱領には、『歎異抄』を基礎とした独特の宗教観が見られるが、それを綴る言葉は多分に韻文的である。起草されて以来40年を経た文章にも関わらず、今なお人々を惹き付ける力があるのは、この韻文的な言葉そのものの力にあずかる部分も大きいのではないかとさえ思われる。

その横田が今年、喜寿を期して刊行した第五詩集が『まぼろしを』(障害者の自立と文化を拓く会「REAVA」発行)である。紫地に銀字、横長のやや変則的な体裁をしたこの詩集は、長らく障害者運動を牽引してきた横田哲学の集大成とも言うべき一冊である。

by toyonokuni | 2019-05-21 19:43 | センターの風 | Comments(0)