これは、昭和40年のことです。 二人のろうの青年が寿司屋に入り、寿司を食べながら手話で話をしていました。
その後入ってきた三人の客から変な目でじろじろ見られました。
あまりにも、じろじろ嫌な感じで見るので、見ないで と、身振りでしましたが、やめてくれませんでした。
それでその客に近寄って、その客の肩をたたいて注意したら、逆に顔を殴られてしまいました。
結局、つかみ合いのけんかになってしまいました。
寿司屋の主人はそのろうの青年を知っていたので、止めようとしましたが、なかなかやめないので、ろうの青年の頭を打ちました。
ろうの青年は、今度は寿司屋の主人との争いになり、寿司屋の主人は、殴られて、投げ飛ばされてしまいました。
ところが、倒れたときに頭を強く打って、亡くなってしまったのです。
警察の取り調べの時に、警察官は手話が分からないので、聾学校の先生が通訳をしました。
しかし、当時は、手話が禁止されていたので、手話が上手にできる先生は少なかったのです。
二人は、正確な手話通訳ができる人を探しましたが、なかなか見つかりませんでした。
また、担当してくれる弁護士もなかなか見つかりませんでした。
やっと、引き受けてくれる弁護士も決まり、裁判が始まりました。
ところが、裁判の中で、被告のろう者は、一生懸命手話で話しているのに、通訳者の発言が短くて、自分の言っていることは正しく通訳されているのか疑問に思いました。
このろうの青年の判決は、懲役4 年の刑になりました。
当時、法廷では被告人のろう者には通訳が付きましたが、手話通訳は不十分でした。
さらに、傍聴席には手話通訳はありませんでした。
裁判の時には、被告人のろう者の述べる内容と警察や検察の記録では、たくさんの違いがありました。
これを受けて、東京の若いろう者たちは「守る会」を設立し、被告人であるろう者の「知る権利」のために立ち上がりました。
後に、本格的にろう者の人権を守る動きが活発になり、本格的に差別撤廃運動が始まりました。
また、当時は、東京でも手話通訳が正確にできる人は、10 人もいなかったようです。
その後、手話通訳士の必要性も強く求められるようになり、手話通訳養成の取組が行われるようになりました。
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