ああ上野駅 当時のろう学校卒業者の就職は?

 「ああ上野駅」を歌っていた歌手の井沢八郎氏が昨日17日に69歳で亡くなった。この歌は私の愛唱歌でもあり、残念でならない。この歌が歌われた背景を見ると、東海道新幹線の開通と東京オリンピックの開催など、昭和30年代後半は日本の高度成長期の出発点であった。
 当時の日本経済の基礎を支え、労働力の源泉となったのが田舎から集団就職で都会に迎えられ「金の卵」ともてはやされた若者たちである。
 当時上野は東北から上京するときの玄関であり、「集団就職」や「出稼ぎ」の象徴の駅でもあった。この歌は心の励みとなり又人生の応援歌にもなっています。
 当時のろう学校卒業者の就職状況はどうだったのでしょうか?
 東京、大阪に就職する卒業者も多く、大阪では大分県立聾学校卒業者の同窓会的な組織もあるそうです。
 先輩ろう者や手話サークル学習の中でろう者をお呼びして当時の聾学校卒業者の就職についての学習会を開催してみてはどうでしょうか? 
 また、上野駅と言えば石川啄木の短歌「ふるさとの 訛(なまり)なつかし  停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく」を思い出します。※下の写真は昭和三十年代の聾学校の修学旅行の写真です。
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【ああ 上野駅】
(前奏)
   『父ちゃん僕がいなくなったんで 母ちゃんの畑仕事も大変だろうなあ
    今度の休みには必ずかえるから そのときは父ちゃんの肩も
    母ちゃんの肩も もういやだって いうまでたたいてやるぞ
    それまで元気で待っていてくれよな』
 
1どこかに故郷の 香りをのせて
入る列車の なつかしさ
上野は俺らの 心の駅だ
くじけちゃならない 人生が
あの日ここから 始まった

2就職列車に ゆられて着いた
遠いあの夜を 思いだす
上野は俺らの 心の駅だ
配達帰りの 自転車を
とめて聞いてる 国なまり

3ホームの時計を 見つめていたら
母の笑顔に なってきた
上野は俺らの 心の駅だ
お店の仕事は 辛いけど
胸にゃでっかい 夢がある
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Commented by サークル会員 at 2007-01-20 08:39 x
>先輩ろう者にたずねて・・
はい、いろんなこと たずねてみたいですね!

就職が決まると 「トキハで買い物」と上の階で「洋食」が食べられ、セーラー服を新調してもらえると よろこぶ近所のお姉さんたちの姿を覚えています。「金の卵」だったんですね。でも・・・。
Commented by サークル会員2 at 2007-01-20 12:51 x
先日NHKであった「ひとり団地の一室で」・・・都会の孤独死をあつかってました。これって、集団就職で都会に出た人たちのニュータウン(新興団地)問題がからんでました。
ろう者は団結力があるから、きっと都会で孤独死を迎えることはないと願いたいです。
Commented by ロマン at 2007-01-20 19:25 x
 トキハで買い物・・・吉田寛の「虹色おいさん」の中に出てきそうなお話ですね←まだ読んでないのですが。悲哀を感じさせるお話ですね、
続きを聞きたいです。
Commented by look at 2007-01-20 21:00 x
将来性が高いという意味と、安い給料で雇えるという意味から金の卵と呼ばれ、悪条件の中で働かされていた若者も多かったことでしょうね。
 その安い労働力を大量に供給する集団就職によって高度成長が支えられ、日本は戦後の復興をとげましたが、今の世の中を夢見て彼らは汗まみれになって働いたわけではないでしょうに・・・。
 バラバラ殺人、いじめ、公務員の不祥事など等。なんか悲しくなりますね。

by toyonokuni | 2007-01-19 15:06 | センターの風 | Comments(4)

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