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2006年 12月 15日 ( 1 )

 人は生まれてから数字というものにつきまとわれ、人生そのものも数字によって左右されると言っても過言ではないかもしれません。母親の胎内にいる時から諸々の検査を受けてその数値が母親に伝えられ、母親はその数値により安心したり不安を感じたりします。学校に入るとテストで点数がつけられ、クラスや学年での順位を数字で示され一喜一憂することになります。そして高校や大学入試も一定の点数がないと希望する学校には入れずに門前払いされることさえあります。
 ただし、この数字は何かの原因があり、その結果としての数字で、数字が単独で存在するわけではないことも確かです。努力すればテストの点数も上がったりするし、百メートルの秒数が良くなったりすることもあります。

 しかし「数値」と表現される分野では努力で改善されることと改善されにくいものがあります。「数値」ということばを何の抵抗もなく受け入れることのできる人は一般的に健康な人が多いのかもしれません。病院で検査を受けると数値となって結果が出てきます。この数値を待っている間は不安でどうしょうもありません。出された結果は単なる数字が並んでいるに過ぎないのですが、人は時として生きる気力さえ失いかねないものであり、数字とは世にも恐ろしいものだとつくづく感じます。

 手話通訳として病院に行きろう者の検査結果が数値として出され、その数値が標準よりもかなり悪いのにろう者自身は単なる「数字」としてしか受けとめていないことがあります。医者の説明にも数字の持つ意味について十分な情報を持っていないために、その深刻さを感じないろう者もいます。
 ろう者自身の情報不足、医者の説明不足、手話通訳者の表現技術の不足等がからみあってろう者が「数値」に反応しない状況を作り出している現状を変えていかなければなりません
  医療関係者と聴覚障害者、手話通訳者等が集って聴覚障害者の医療保障について検討する場が求められています。
 ちなみに健康診断の時期ですがご自分の結果は大丈夫でしたか?検査結果について詳細が分かりにくい場合はこちらを参考にしてみてください
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by toyonokuni | 2006-12-15 05:56 | センターの風 | Comments(2)