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2014年 10月 29日 ( 1 )

社会福祉法人大分県聴覚障害者協会の理事を務めております鈴木と申します。
聴覚障害があるとわかったのは、幼稚園に通っているときでした。
両親は、名前を呼んでも振り向かないので、知的障害を疑ったそうです。
 近くの大きな病院へ連れていっても原因がわからなかったため、大学病院に連れて行って、初めて分かりました。

 聞こえない原因は不明ですが、低体重児で生まれてきたことが関係しているのではないかと思います。
 ある程度喋れたためか、ろう学校のことは全く知らず、家の近くにある小学校に通っていました。そこには難聴学級はなかったので、電車で30分くらいのところにある聞こえの教室に週1回通級していました。
 普段通っていた小学校では、言葉のすれ違いから、毎日ケンカばかりしていた記憶が強いです。学校の先生もあまり味方ではなく、学年が上がるにつれて、本を読むようになってきました。

 中学校は、家の近くではなく、障害児学級のある大きなところに入りました。毎日電車で通っていました。
 ある時、乗り換え駅で、ろう学校の生徒だったか、駅のホームで線路越しに手話をやっているのを見かけました。面白いと思った。
 手話を覚えて、同じようにできたらいいなと思い、手話の本を買いました。休み時間に読んでいたら、中学校の先輩が、手話サークルがあるよと、誘ってきました。その先輩は、デフファミリーで、彼の家にも誘われ、初めてろうの大人の人に会いました。

 しばらく手話サークルに通っていたのですが、声での説明が優先されがちで、面白くないなと思って行かなくなりました。
 中学校を卒業して、次に入ったのは高専というところです。学校でのコミュニケーションがあまりうまくいかず、もう一度手話を覚えてみることにしました。
 久しぶりに入った手話サークルは、前とガラッと変わって、声なしでコミュニケーションをとる場になってました。
講師はろう者で、目で覚えました。声なしが自分に合ったのか、それからずっと手話とろう者の世界に関わり、現在に至っています。
 全日本ろう学生懇談会にも入り、講義保障のことを知りました。のちに大学に編入学することになった時、講義保障を付けられないか、学生課に問い合わせました。手話通訳のことはどこに聞けばよいかと聞かれ、市役所ならコーディネーターがいるのでわかると思いますと伝えたところ、ひと月もしないうちに講義保障の制度が出来ました。

 手話だけでなく、ノートテイク、PC要約のどれから選べるようになっていました。講義の内容、進め方に合わせて選べるので、とても助かりました。
 手話通訳者の中に、たまたま大学のOBがいました。講義の内容がその人の専門分野であったとき、手話通訳はわかりやすかったです。専門性を持った手話通訳者の養成は非常に重要だと思います。
 大学卒業後、大分の会社に就職しました。もともと九州の知り合いは少なかったのですが、大分県聴覚障害者協会に入って、人脈が広がりました。
 青年部はインテグレートした人が多く、意外にもろう学校出身者は少ないです。普通学校に入ってみたものの合わず、ろう学校に戻った人が結構多いです。これは全国的な傾向で、10代のコミュニケーションに手話が欠かせないことを示しているのではないでしょうか。
 手話言語法が制定されることで、早期の手話による教育、および高等教育機関における講義保障が充実され、健聴者と同じ教育機会を得ることにつながり、格差のない社会になることを期待しております。
by toyonokuni | 2014-10-29 04:21 | 協会・センターからの情報 | Comments(0)