カテゴリ:センターの風( 170 )


下町の太陽←


手話サークルで「懐かしのメロディ」を手話で表現してみませんか。サークルには若い人やお年をめした
方もいますので、たまには年配の方に合わせた歌もいいかも?



  「下町の太陽」

下町の空に かがやく太陽は

よろこびと 悲しみ写す ガラス窓

心のいたむ その朝は

足音しみる 橋の上

あゝ太陽に 呼びかける



下町の恋を 育てた太陽は

縁日に 二人で分けた 丸いあめ

口さえきけず 別れては

祭りの午後の なつかしく

あゝ太陽に 涙ぐむ



下町の屋根を 温(ぬく)める太陽は

貧しくも 笑顔を消さぬ 母の顔

悩みを夢を うちあけて

路地にも幸(さち)の くるように

あゝ太陽と 今日もまた



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by toyonokuni | 2018-10-26 21:11 | センターの風 | Comments(0)

早瀬氏来県!

早瀨憲太郎・川野健太・早瀨久美 三氏が来県!
 OITA サイクルフェス!! 2018
お時間のある方は是非応援に!
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【10月13日(土)】
大分駅前
https://www.jbcf.or.jp/races/20181013_id=16545
13:30~14:06 E1(早瀨憲太郎・川野健太)
【10月14日(日)】
大分スポーツ公園大分銀行ドーム
https://www.jbcf.or.jp/races/20181014_id=16547
14:30~15:33 E1(早瀨憲太郎・川野健太)
15:40~16:16 F (早瀨久美)
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by toyonokuni | 2018-10-11 16:26 | センターの風 | Comments(0)

バリアフリーについて再度考える
   「バリアフリー」と聴覚障害者

~聴覚障害者と音楽のバリアについて考える~

聴覚障害者が参加するコンサート等について、必要な配慮は何ですか?
と聞かれることがあります。

①補聴器の効果がある聴覚障害者は「補聴器」を活用して、一定の効果が期待できる人もいます。
②全く聞こえない場合でも様々な工夫がされています、例えば風船を抱いて、風船に振動す
 る音を体感することができます。
③備え付けの椅子の振動を通じて音を体感することもできます。
④手話で表現された歌を視覚的に見て、音を(歌詞)を理解することもできます。
⑤太鼓等の音は体全体に音を感じて楽しむことができます。
※残念なことは、「聞こえない人は音を楽しめない」等と聴覚障害者が音を楽しむ可能性に
チャレンジしないままに、最初からあきらめてしまうことです。

 また、主催者や出演者等が聴覚障害者に対する「音楽のバリア」を除去して、聴覚障害者
が音楽を楽しめる環境を整えいく姿勢だと感じます。


①心身の障害などでハンディキャップのある人にとって、障壁(バリア)となる物理的(建物構造・交通機関など)、制度的(障害を欠格条項とし、資格取得に制限があるなど)

②文化・情報面(点字・手話・音声案内・字幕・分かりやすい表示の不備)、意識(偏見や先入観)が取り除かれた状態。その取り組みがバリアフリー化。
スロープを設置するといった物理的整備が注目されがちだが、社会的認識や価値観のバリアフリー化もノーマライゼーションの達成に不可欠である。
③何をバリアと感じるかは個別性が高いため、当事者の意向とニーズに基づいた検討が必要である。

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by toyonokuni | 2018-09-04 18:39 | センターの風 | Comments(0)

    原点に戻って、手話通訳活動に頑張ります!

久しぶりに手話通訳に行った。
8月に手話通訳依頼が集中して、派遣担当者が苦戦していることや、通訳現場から離れてデスクワーク
中心で、手話通訳関係のテキスト、通訳現場での事例検討集作成等に取り組んできました。
しかし、通訳現場で派遣された通訳者が困っていることや悩んでいることを正確に把握できているのか?
机上の空論になっていないか・・・・・40年にわたる通訳活動を振り返ってみました。

やはり、ろう者の福祉を考える立場にありながら通訳現場に積極的に出かけて行かないことを反省し、
初心に戻って、ろう者から学ぶという基本姿勢を続けていかなければならないと考えました。
80歳を過ぎても頑張っている先輩通訳者の姿勢を見習うべきと感じました。

体調が万全ではないですが、この状態では個人通訳や大会通訳も感覚、能力が衰えていく不安を感じます。
若いころに抱いていた夢を多くのろう者や先輩に助けられながら活動できたことに感謝し、可能な限り
通訳現場に出て行こうと思うこの頃です。

皆様に迷惑にならないように頑張りますので、ろう者、通訳者の皆様よろしくお願いします。
                     奈須 博幸

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by toyonokuni | 2018-08-22 05:33 | センターの風 | Comments(0)

「ろう者より先に怒るな、泣くな、笑うな」

            ~行こう  とにかく行こう~

手話通訳者はいろんな所に出掛け、多くの出会い、多種多様な経験をする。

ただ、この経験はろう者が主体者として経験することであり、通訳者は通訳行為を通じて「疑似体験」的な場面を経験しているにすぎない。

 しかし、通訳者の役割を十分に認識していないと通訳者が「実体験」をして、主体者であるろう者が「疑似体験」をしているような場面が生まれることになる。

例えば聞こえる人がろう者に対して失礼な発言をしたような場合に、ろう者が怒る前に通訳者が怒るというような場合である。通訳者は自分が怒る前にその失礼な発言をろう者に「通訳」することを最優先しなければならない。

同じような例として通訳者が手を動かす前に笑ったり、泣いたりしてろう者への情報提供が遅れてしまうことがある。通訳しているのは人間で、感情を持っているので場面によっては悲しみや怒りで感情を抑えきれず、通訳できないということも現実にはありえるだろう。

しかし、通訳者がその場所で疑似体験であるにせよ体験するのはろう者からの依頼があるからであり、依頼者よりも先に感情を表すことは通訳者として反省すべきであろう。

ただ、聞こえる人たちの大部分が示すと予想される感情をろう者が示さない場合に通訳者の伝える能力の不足のみでは片付けられない問題が存在する。何事にも我慢する事を押しつけられてきたろう者の場合は、聞こえる者の言うがままになっている例がある。

こんな時は通訳者の役割を捨てて一人の人間として憤りをぶつけたい衝動にかられることもあると思うが、通訳者は通訳場面では「個人」として存在しないのであり、通訳者の感情表出はありえないのが原則であることを忘れてはならない。

ただし、憤りを感じる感性は通訳者に欠かせない資質である。


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by toyonokuni | 2018-07-11 05:36 | センターの風 | Comments(0)

「ろう者の権利回復としての日本手話」

~「行こう  とにかく行こう」より抜粋


手話について、「健聴者的手話」、「ろう者的手話」、「伝統的手話」、「中間型手話」など、様々な表現が言われてきましたが、ここにきてようやく整理されてきました。

つまり、健聴者が覚える手話と実際にろう者が使っている手話が異なり、いわゆる健聴者的な手話通訳をされた場合に、ろう者は分かりにくいという声が出てきました。

 一方、ろう者的手話を表現された場合に手話通訳者がスムーズに理解できないという問題が出てきました。


これは、手話通訳が「ボランティア的行為」と考えられていた時には、あまり表面に出てこなかったが、手話通訳が一つの「言語通訳」と考えられはじめた頃から、徐々にろう者からも手話学習者からも出されてきました。

では、手話講習会の中で、実際にろう者に通じるような手話技術を指導すれば良いでないかと誰しも思うことであるが、下記のようなことから指導されてこなかったと考えられます。                         

1手話に対しての社会的評価が低く、指導するろう集団としても、自信をもって自分たちが日常使っている手話を指導できなかった。(手話よりも日本語が上の言語という意識を、教育の中で植え付けられてきたのが原因と考えられる)

2言語としての手話の研究が進んでおらず、体系的に日本手話を指導できる条件が整っていなかった。


3第二言語としての手話を覚える健聴者にとって、日本語の文法に合わせて手話を覚える方が覚えやすかった。

 上記の他にも様々な要因が考えられるが、平成10年に、手話講習会の指導について見直しをしようとする動きが出て、手話奉仕員・手話通訳者養成カリキュラムが作成され、手話通訳者講座が開始されました。

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手話奉仕員養成事業が昭和45年に開始されて、ほぼ半世紀近くになる今日、多くの人たちの労苦が実り、「手話は言語」であるとの認識が共有化されてきました。
 この経過の中で、「日本手話」「日本語対応手話」の論争が起きています
 しかし、現在私たちが使っている音声言語の歴史を考えると日本各地に「方言」等もあり、学校教育の場で「国語」公用語として、国策としての取り組みが行われてた歴史があります。
手話も言語として考えると同じような経過をたどるのではないかと素人の私は考えています。

しかし、大切なのは、「手話通訳者は講座の中では育たない」ということです。
常に聞こえない人たちが抱える問題に対して、共感できる通訳活動者を育てるためには、
多くのろう者との交流活動は、必要不可欠なものと考えます。

【追記】
木村晴美氏が「ろう文化宣言」をしたのは、聞こえないろう者の権利と同時
に奪われた「自分たちの自然なことば(手話)の奪回宣言」であったと
考えます。

※ろう文化宣言はセンターの書籍にありますので、一度ご覧ください。
現在、手話言語法の制定運動や「手話は言語である」ことが法律の中でも
明文化され、手話やろう者を取り巻く環境は大きな転換期を迎えています。
手話が禁止された時代に生きてきたろう者にとって、奪われた「権利回復
のための主張をしているのです。

この大きな転換期に手話を学んでいる私たちは、聞こえない人たちを側面
的に支援できる聞こえる人でありたいものです。

今は、まさに「手話は言語である」という社会の共通認識が熟すまで
の過渡期とご理解ください。
                              文責:奈須


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by toyonokuni | 2018-06-27 05:10 | センターの風 | Comments(0)

3月…
幼稚園の卒園式、小学校の卒業式、中学の卒業式、高校の卒業式と、笑顔と涙で新しい門出を祝う月になりました。
4月には素敵な出会いが待っていますね。
センターにも、「ありがとう」の気持ちが届きました。

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さっそく飾らせていただきました。
こちらこそ「ありがとう」の気持ちでいっぱいです。
手話を学ばれた学生の皆さん、これからも素敵な出会いがありますように。
そして、聴覚障害者の方と会った時には、積極的にお話してみてくださいね。
センターの方にも遊びに来てください。待ってます178.png


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by toyonokuni | 2018-03-02 13:23 | センターの風 | Comments(0)

センターの豊後梅

平成8年10月に当センターがオープンした時からセンターを見守ってくれた
  
豊後梅、今年も素晴らしい花を咲かせてくれました

「毎年、恒例の豊後梅の写真」

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                  撮影者⇒奈須
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                 3年前撮影した豊後梅

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by toyonokuni | 2018-03-02 13:23 | センターの風 | Comments(0)

春の訪れ。

   豊後梅満開!

ウメ(梅)の仲間である、豊後の国大分県の花「ブンゴウメ(豊後梅)」。
その名の示すように豊後(大分県)に 発祥し、古くから豊後の名産として知られたウメ(梅)である。
大分県にあるウメ(梅)をそう呼ぶというのではなく、れっきとしたウメ(梅)の種類である。果樹として
栽培されているウメ(梅)の1ツ変り種で、香り高い大型の花をつける。アンズ(杏)とウメ(梅)の間の種
類という説もある。

画像ブンゴウメ(豊後梅)は、その名の通り豊後国(今の大分県の大部分を占める)が、発祥とされていて、江戸時代には杵築松平家から徳川将軍家にその実の砂糖漬けが献上されているなど、古くから豊後の名産として知られていた。(この縁で、ブンゴウメ(豊後梅)は杵築市の花にも制定されている)



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by toyonokuni | 2018-02-28 06:13 | センターの風 | Comments(0)

春の小川

  「春の小川」

春の小川は さらさら流る。

岸のすみれや れんげの花に、
(にお)いめでたく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやく如く。

春の小川は さらさら流る。
(えび)やめだかや 小鮒(こぶな)の群に、
今日も一日 ひなたに出(い)でて
遊べ遊べと ささやく如く。

春の小川は さらさら流る。
歌の上手よ いとしき子ども、
声をそろえて 小川の歌を
歌え歌えと ささやく如く。

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by toyonokuni | 2018-02-21 06:06 | センターの風 | Comments(0)